【寄稿】窓の奥の異世界:福村君雄の絵画 嶋﨑吉信(美術批評家)
筆やペンで描いたものばかりが絵画とはかぎらない。私たちには「切り紙絵」という技法もなじみ深いだろう。福村君雄は、小さな円形のユニットをモザイク状に、切り紙絵と同じように貼り並べて画面を構成する。ある意味でシステマティックな方法に依っているのだが、筆のタッチのあるふつうの絵画にも増して見る人の感興を刺激する豊かさを擁しているという点において、福村の画面は希有であり貴重である。
画面を構成しているカラーユニットは、作者自身がシルクスクリーンによって色を刷ったボール紙を同一サイズの円形に型抜きしたもので、その色数は102色にものぼるという。円形ユニットの直径は9ミリが基本だが、過去には12ミリや27ミリのものが使われたこともあった。
円形のカラーユニットを隙間なく並べるため、色面や形を構成する最小の単位はユニット3個による正三角形状となって、画面の中の出来事はいつも60度と120度というただ二つの角度を基本にして展開してゆく。その伸張形として、1個のユニットを6個で囲んだ合計7個からなる六角形状を一つの単位としたり、さらにはその周囲をまた別の六つの六角形状単位で囲み、合計49個のユニットからなるかたまりを基本の色面ないし単位要素としたり、さらにそれが同様に7セット集まって……というように構成される一種のフラクタル画面もしばしば見られる。冒頭に私は「システマティック」という言葉を使ったが、それはもっぱらこのような手法ないしプロセスについてであって、色彩の選択や配置は作者の創意のままに、見る人の想像が及ばないような緊張感とともに随意に進行してゆくのにちがいない。
このようにして出現する像はまちがいなく幾何学的であるが、しかしそのことに表現としてのメッセージがあるわけではない。そうして、メッセージや意味から自由なそれらの形態は、角度を強いられていることによってユーモアのようなものもにじませている。
あらかじめ作り置いたカラーユニットを貼り並べるという手法は、絵具を使うときのように隣接する色や形が混じったりすることはないため、画面内のすべてはどこまでも明瞭・明快で、かつ非現実的である。その画面はことさら情感に訴えるものではないが、しかし作者自身と見る人の双方を現実世界の参照というくびきからやすやすと解放して遊ばせる。
福村の画面ではさらに、一つひとつのユニットが高速で微細に振動しつつ干渉しあって見る人の感覚を刺激する一方で、全体を均等に支配する清潔な静けさが抽象的な精神性をもたたえている。そして、ユニットの振動と飽和状態の静けさの両者がはらむ尋常ならざるエネルギーに気づくとき、画面はすなわち窓となって、その奥と四周のどこまでも広がってゆく異世界の「永遠」を私たちは垣間見ることになるだろう。
(2023年6月)